2017年10月31日

一休さんはとんち小僧ではなく高僧なんですよ!

【一休さんはとんち小僧ではなく高僧なんですよ!】


「一休さん」と言えば

すぐに出てくるのは「とんち話」です。

子供のころに本やテレビアニメなどで

夢中になった方も

多いのではないでしょうか。



くりくり坊主で利発そうな

一休さんの絵が目に浮かんできます。

しかし実際の一休さんって

どんな方だったのでしょう。



一休さんの本名は「一休宗純」といい、

とてもまじめなお坊さんでした。

一休宗純は1394年 (応永元年)に生まれ、

臨済宗大徳寺派の僧です。



お母さんが後小松天皇に仕えていたことから

後小松天皇の子という話もあります。

アニメの一休さんのお母さんも

かなり高貴な方のように描かれていました。



後土御門天皇の命令によって、

応仁の乱で焼失した大徳寺の住職に就き

大徳寺の再興に尽力しました。



幼少の頃の一休さんは

とても利発で真面目な子供でした。

しかし大人になってから酒や肉を食い

女性と交わるなど戒律を守らない

破戒僧になっていました。



また、わざわざ小汚いなりをしたり、

木刀を朱塗りの鞘に入れて腰にさしたり、

正月には「骸骨」を抱えて

挨拶に回ると言った

数々の奇行も見られました。



このような一休宗純の行動は

「風狂」とよばれましたが、

一見奇行にしか見えない一休の行動は

それぞれに意味が込められていた
のです。



朱色の鞘に入れられた木刀は、

「外見は立派だけれど中身は偽物である」、

骸骨は、

「誰もが死んだら同じ姿になる」、


というメッセージを伝えていたのです。



絵に描いた虎を巡り

「捕まえてみろ」

「捕まえるから絵から出してみろ」

という将軍とのやり取りは有名
です。

将軍の前でもこんな態度だったと言います。



当時は戦乱や飢饉が多発した時代で

苦しんでいる一般庶民をよそに、

欲に走る僧侶が沢山いました。



一休禅師の奇行は

そういった僧侶への批判の意味

あったのだと見られています。

一休禅師は法を説くときには

しっかりと説いたそうです。



痛快なとんちの利いた一休さんの説話は、

後世になって書かれたものです。

一休とんち話として残る最も古いものでも

江戸初期のものです。



史実というより一休さんの逸話や説話が

物語として作られました。

「一休さんのとんち話」は

こんな一休さんの生き方によって

生まれるべくして生まれた
のです。



一休禅師はとても魅力的だったのでしょう。

76歳にして50歳年下の女性を射止め、

1481年(文明13年)11月21日

若い奥さんに看取られ

88歳の生涯を閉じました。


         セーフティーコン
posted by セーフティーコン at 09:56| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月30日

海苔の裏表を知ってますか??

【海苔の裏表を知ってますか??】


この時期有明海では

ノリ養殖の網が張られ始めています。

有明海は干満の差が大きく

流れ込む中小の河川が沢山あり

絶好のノリ養殖の場所です。



近年海水の極度の富栄養化や

海水の温度の上昇など

様々な問題が山積し、

沿岸の佐賀や福岡、熊本では

諫早湾干拓の影響も解決していません。



今年は、九州北部豪雨のため、

筑後川上流から流木やごみが

有明海に大量に流入し、

網を張るのも大変だったようです。



海苔(のり)は元々海藻類のうち、

岩石などに苔状に生える藻の総称でした。

ヌルヌルしているので

岩の上に載って足を取られた人も

多いのではないでしょうか。



このことからも分かるように

「のり」は「糊」「生血」(のり)と同じく

ヌルヌルするものを意味
しています。



語源としては、ヌラヌラの「ヌラ(滑)」が

なまったものとする説があります。

「ヌラ」→「ヌラリ」→「ノリ」

というわけです。



海苔の作り方は、

採取してきたノリを水洗いし

適切な長さに裁断し簀(す)に流し込んで

日光で乾燥させて作ります。

最近は乾燥機で乾燥させますがね。



海苔には黒紫色の美しい光沢があります。

西洋の方は「ブラックペーパー」

呼ぶのもこの光沢のせいでしょう。



普通おにぎりなどをノリで巻く場合

見映えの点からも

光沢のある側を外にします。

そちらを表だと思っているからです。



しかし本当の海苔の表は

光沢のない方
なのです。

製法上から言えば、

日光に直接当たった方が

表になるのは当然なのです。



海苔はあぶりすぎると

香りが飛んでしまいます。

美味しくあぶるには、

海苔を重ねて持ちよくおきた炭火にかざし

手早く裏表を返します。



「浅草海苔」ですが、

商品化されたのは徳川綱吉のころで、

浅草付近の海で採れていました



その後干場が失われ海の汚染もあり、

品川、大森、さらには千葉へと

養殖場が移っていきました。

今では、海苔の生産日本一は、

有明海に面した佐賀県
です。



パリッと焼いた海苔に醤油を少しつけ、

白いご飯をくるんで食べると

幾らでも食べられます。

韓国産の海苔では

日本の味は味わえません。


        セーフティーコン
posted by セーフティーコン at 08:03| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

漱石は「全然」の使い方を誤ったのだろうか??

【漱石は「全然」の使い方を誤ったのだろうか??】


「全然」の正しい使い方を正確に

説明できる人は、

どれ位居られるでしょうか?



例えば、

「全然いい」「全然大丈夫」「全然面白い」

という使い方は

正しいと言えるのでしょうか?



「全然」は否定表現を伴うべき副詞

「全然+~ない」というのが正しい用法。

「全然+肯定表現」は誤用である。

「全然いい」というのは文法的に誤りだ……。 



こう考えている人は少なくないでしょう。

私もそのように思っています。

多くのビジネス系の参考書や国語辞典は、

「全然+肯定表現」は好ましくない。

誤用・俗用としています。




ところが、文豪漱石の『坊っちゃん』には

「一体生徒が全然悪いです」

というセリフが書かれています。

あの漱石が「全然+肯定表現」を

用いている
のです。



漱石が誤っているのでしょうか?

実は「全然+肯定表現」は

同時代のほかの文豪たちの

作品にも散見できるのです。



「全然」は、江戸時代に口語中国語で

白話小説から広まった表現
で、

肯定文でも否定文でも使われていたのです。



それが「否定表現を伴うべき」と

明確に言われるようになったのは

実は戦後から
のことなのです。



欧米から入ってきた英語やドイツ語の、

文法教育が影響したと見られています。



英語では「(not) at all」(全くない)

というように、

「全然」と訳される表現は、

否定表現を伴うのが一般的です。



これは英語でも、

絶対的なルールではありませんが、

「全然+否定表現」という外国語のルールが、

日本語の「全然」の使い方まで

替えてしまった
ようなのです。



国語辞典の中では、1952年5月刊行の

「辞海」(金田一京助編)で初めて、

次のように記されました。



「まったく。まるで。残らず。すべて。

(下に必ず打消しを伴う)

『…知らない』」



これ以降、

「全然+否定表現」のルールが

あたかも自明の理のように

国語辞書レベルで拡散していきました。



私などは戦後の教育の中で、

「全然+否定表現」が当然として

使用してきていますので。

若者が「全然いいっすよ!」などと

使っているのには違和感を覚えます。



このようなことから、

未だに漱石の「全然悪いです」は

誤用とされているようなのです



誤用ではないことは判りましたが、

少なくとも自分の文章の中や会話では

「全然+肯定表現」は使わないと思います。

というより「全然+肯定表現」としては

使える自信がありません。



現在では「お上りさん」と言えば

田舎から東京へ行った人のことですが、

江戸時代までは江戸から京都が

「お上りさん」だったことを考えれば、

言葉は時と共に変化するのですね。



日常使っている日本語の中にも

本来の意味と異なった使い方が

日常慣用的に使われて、

誤った使い方だとは知らないものが

沢山ありそうです。



日本語っていうのは難しいなあー
  

          セーフティーコン
posted by セーフティーコン at 10:59| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする